上高根沢村(読み)かみたかねざわむら

日本歴史地名大系 「上高根沢村」の解説

上高根沢村
かみたかねざわむら

[現在地名]高根沢町上高根沢

寺渡戸てらわたど村の南、東は芳志戸ほうしど(現芳賀郡芳賀町)など、南は下高根沢村(現同上)、東部を五行ごぎよう川が、中央部を野元のもと川が南流する。大永二年(一五二二)八月一八日の宇都宮忠綱寄進状写(寺社古状)によると、上高沢郷は成高じようこう(現宇都宮市)の香料足地であったが、下稲毛田しもいなげた(現芳賀町)の一一貫文に替わっている。字うえはらにある高根沢城(権現山城)跡は宇都宮盛綱の後裔の高根沢氏が居城、「那須記」によれば天正四年(一五七六)宇都宮国綱に従ったなかに上高根沢城主の高根沢信濃守がいる。当地阿久津家の代々記録によると、正嘉二年(一二五八)高根沢理右衛門は安住やすすみ明神を建立したという。

近世は初め宇都宮藩領。慶安郷帳では高一千一九石余、田方八四一石余・畑方一七七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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