上高橋村
かみたかはしむら
[現在地名]大刀洗町上高橋
筑後川支流の大刀洗川中流左岸域に位置し、南は今村に接する。八丁島村(現久留米市)から当村および本郷村を経て秋月(現甘木市)方面に向かう街道筋に一里塚が置かれた(在方諸覚書)。北部の北五ノ江・八ノ江・九ノ江、南部の四ノ江・五ノ江・六ノ江などは条里制の遺称地名と思われる(大刀洗町史)。文永一〇年(一二七三)六月一〇日の沙弥蓮種所領譲状(草野文書/鎌倉遺文一五)によれば、竹野庄河北郷内の「高橋」などが草野永種から養子の永平に譲られている。なお年月日未詳の肥後山北西安寺石堂碑文(相良家文書/鎌倉遺文一〇)に相良宗頼の領地として「筑後国高橋村・大塚村三十三丁」とある。応永二年(一三九五)閏七月二五日の天満宮領筑後国所領注文(太宰府天満宮文書/大宰府・太宰府天満宮史料一二)に筑後国の不輸領として「高樋庄 同高橋村」がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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