上高浜村(読み)かみたかはまむら

日本歴史地名大系 「上高浜村」の解説

上高浜村
かみたかはまむら

[現在地名]榛名町高浜たかはま

群馬郡に属し、東は本郷ほんごう村、西は宮沢みやざわ村・三子沢みつござわ村、南は下高浜村。中央部を南北に白岩しらいわ長谷ちようこく寺巡礼道が貫通している。天正一四年(一五八六)五月八日付の右京助宛羽柴秀吉感状(竹内文書)に「高浜」がみえる。「簑輪軍記」によると、戦国時代には高浜一帯も戦場になっており、箕輪みのわ(現箕郷町)落城後高浜には大熊伊賀守がおかれた。承応三年(一六五四)の安中領高浜村検地帳(「稿本久留馬村郷土誌」所収)があり、総計六六町五反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む