上鶴間村(読み)かみつるまむら

日本歴史地名大系 「上鶴間村」の解説

上鶴間村
かみつるまむら

[現在地名]相模原市上鶴間・上鶴間一―八丁目・東林間ひがしりんかん一―八丁目・相南そうなん一―四丁目・南台みなみだい一―六丁目・松が枝まつがえ町・あさひ町・ゆたか町・さかえ町・相模大野さがみおおの二―三丁目・同五―九丁目・文京ぶんきよう二丁目・御園みその五丁目・桜台さくらだい

東をさかい川が流れ、対岸は武蔵国金森かなもり村・原町田はらまちだ(現東京都町田市)、北は鵜野森うのもり村、南は下鶴間しもつるま(現大和市)に接する。境川沿いの段丘上下に集落と耕地があり、西の台地上は相模野に連なり、その東北端沿いに八王子道が通る。「風土記稿」によれば下鶴間村一村であったが、永禄(一五五八―七〇)以後分村したという。

元弘三年(一三三三)から建武二年(一三三五)の間に成立したと思われる足利尊氏・直義所領目録(県史三)の直義分の筆頭に「相模国絃間郷貞直」とあり、北条氏一族の大仏貞直の所領が北条氏滅亡後直義の所領となった。小田原衆所領役帳に関兵部丞「四拾貫文 東郡鶴間」とあり、天正一三年(一五八五)と推定される酉一〇月二三日付の北条家朱印状写(県史三)によれば不納の紺屋役の提出が「鶴間」に命ぜられている。

天正一九年五月三日の大岡義勝宛の徳川家康知行宛行状(県史八)に「上間之郷」とあり、幕府直轄領との二給。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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