下中目村(読み)しもなかのめむら

日本歴史地名大系 「下中目村」の解説

下中目村
しもなかのめむら

[現在地名]古川市下中目

現古川市の南東端にあり、北は遠田とおだ桑針くわばり村と石森いしもり村、南は下伊場野しもいばの(現志田郡松山町)、東は遠田郡青生あおお(現小牛田町)と接し、鳴瀬なるせ川北岸の豊かな水田地帯の一角を占める。戦国期まで中目村だったものが、近世に入り、上下に分れたものと思われ、上中目村は三里ほど離れた多田ただ川上流にあり、相当広い地域を占めていたと思われる。「貞山公治家記録」によれば、天正一八年(一五九〇)葛西大崎一揆鎮圧に向かった伊達政宗は、一一月二〇日中目城で一揆勢と戦っている。この中目城は「安永風土記」に「兵庫館 竪四拾五間 横弐拾五間 御城主中目兵庫様ニ御座候由申伝候」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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