下丹生谷村(読み)しもにうのやむら

日本歴史地名大系 「下丹生谷村」の解説

下丹生谷村
しもにうのやむら

[現在地名]粉河町下丹生谷

名手なて川西側の段丘地帯に位置し、北は上丹生谷村、東は市場いちば(現那賀町)馬宿うまやど村、西は粉河村に接する。中世は粉河寺領丹生屋村の内であった。江戸時代は和歌山藩領で、伊都いと郡代官所の管下に属した。慶長検地高目録によると村高三四八石余、小物成六斗七升五合。名手組に属し、「続風土記」には高四〇六石余、家数四六、人数二一三。同書は「上下丹生ノ谷旧一村にて上村中村下村と呼しに、後に上丹生ノ谷下丹生ノ谷と二箇村に分ち、中村を岡と呼ひて二箇村の小名とすといへり、下丹生ノ谷今二ツに分る、南垣内北垣内と云ふ」と述べている。文化年間(一八〇四―一八)に甘蔗栽培が行われ、砂糖がつくられていたことは、「口上覚」と題する八塚家文書に、当村の兼助・半之助の二名が砂糖製作と下砂糖の売りさばきについて和歌山藩砂糖方へ許可を求め許されていることからもうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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