日本歴史地名大系 「下光元村」の解説 下光元村しもみつもとむら 鳥取県:気高郡気高町下光元村[現在地名]気高町下光元河内(こうち)川流域の東岸、光元谷(宝木谷ともいう)の中央部山麓に位置する。北は常松(つねまつ)村、南は馬場(ばば)村。下光本とも記した。集落は西に離れた小山北麓にある山崎(やまさき)、東部の山麓に持木(もちぎ)(用木)・大杉(おおすぎ)、ほかに三軒屋(さんげんや)などに分れる(因幡志)。中世光元保の遺称地。光元保は当村および河内川東岸支流末用(すえもち)川の下流域に展開する戸島(としま)村・馬場村・塚手(つかで)村・西分(にしぶ)村や広木(ひろぎ)村(現鹿野町)一帯を領域としていたと思われる。明徳五年(一三九四)七月一日の弾正忠長氏寄進状(前田家所蔵文書)に「気多郡光元保」とみえ、保内下村のうち戸島村が京都南禅寺慈聖院に寄進されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by