気高町
けたかちよう
面積:三四・二八平方キロ
気高郡の北東部に位置する。西は佐谷峠から日本海へ突き出した長尾鼻に続く尾根で青谷町と、東は鹿野町と鳥取市との境にそびえる毛無山(五七〇・五メートル)から北に延びる尾根で鳥取市と、南は鹿野町に接し、北は日本海に臨む。鹿野町内鷲峰山(九二〇・六メートル)の南西麓に水源を発して北流する河内川は時代によって主流路を変え、西から逢坂谷、勝見谷、坂本・光元谷の三つの河谷平野を形成、町域はこれらの河谷平野のうち逢坂谷、坂本・光元谷の大部分と勝見谷の北部にあたる。日本海沿いにJR山陰本線と国道九号(伯耆街道)が並行して横断する。逢坂谷を県道鷲峰―気高線、勝見谷を主要地方道郡家―鹿野―気高線、瑞穂谷を県道矢口―鹿野線と同宝木停車場―上光線がいずれも南北に走っている。
古墳は逢坂谷では中央付近、勝見谷では海岸部に多く分布、坂本・光元谷では前方後円墳・前方後方墳も認められ、中央部付近から海岸部にかけて分布が密である。古代律令制下では気多郡の大原郷・坂本郷・大坂郷(和名抄)の郷域であったと思われ、現存地名から坂本郷は坂本谷および光元谷の南部、大坂郷は逢坂谷の一帯に比定される。大原郷については手掛りとなる地名は現存しないものの、郷域は河内川東岸の宝木地区海岸部から鳥取市白兎地区にかけてと想定されている。近年の上原遺跡や上原南遺跡の発掘調査によって古代気多郡家は上原の荒神を中心とする地域に置かれ、また上光の戸嶋遺跡でも奈良・平安時代の官衙跡が発掘されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 