日本歴史地名大系 「下南青沢村」の解説 下南青沢村しもみなみあおさわむら 山形県:飽海郡八幡町下南青沢村[現在地名]八幡町下青沢(しもあおさわ)荒瀬(あらせ)川上流左岸の山間村。常禅寺(じようぜんじ)村の東にあり、北側は荒瀬川を境に大蕨(おおわらび)村。東から草田(そうだ)・六助(ろくすけ)・君畑(きみはた)・大平沢(おおびらさわ)・小平沢(こびらさわ)・吉野沢(きちのさわ)と山麓沿いに小集落が散在する。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録には南青沢村とあり高二二七石余。寛永元年庄内高辻帳にも南青沢村とあり高三八四石余。貞享(一六八四―八八)の頃、南青沢村が上南青沢・下南青沢・二階(にかい)新田の三ヵ村に分村して当村が成立した。貞享年間の村組付(飽海郡誌)では高二七六石余、家数三一、明和七年(一七七〇)の土目録(相馬文書)では高二八三石余、免五ツ七分、ほかに喜次郎(きじろう)新田七斗余、免四ツ一分。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by