日本歴史地名大系 「八幡町」の解説
八幡町
はちまんまち
- 滋賀県:近江八幡市
- 八幡町
現近江八幡市のほぼ中央、北を
〔城下町形成以前〕
町域は古代
〔城下町時代〕
羽柴秀次は八幡築城に合せて城下町の建設に着手、天正一三年のものと思われる一一月二五日の長田孫兵衛書状(京都大学蔵)に「あつち町之儀、ことことく島郷へ被成御引候て、寸の隙なく取乱候」とあって、八幡城下は安土城下を引移して形成されたことがうかがえるが、
八幡町
はちまんまち
南流する
八幡町
やわたまち
- 山形県:飽海郡
- 八幡町
飽海郡の中央東部に位置し、
荒瀬川や日向川の河岸段丘上には,旧石器時代・中石器時代・縄文時代の遺跡が点在している。当町域は酒田市の一部とともに律令制下では飽海郡
八幡町
はちまんまち
三春城下六町の一つ八幡町を中心とする行政地区。天文年間(一五三二―五五)山城
八幡町
やわたちよう
八幡町
はちまんちよう
盛岡八幡宮前より西へ延びる三町ほどの町人町(盛岡砂子)。東は
八幡町
はちまんちよう
明治四年(一八七一)から同三五年までの町。石狩郡のうち近世には「ワツカヲイ」と記録されている地域の一部と、明治時代の開拓移住民によって開かれた高岡・五ノ沢および丘陵地の山地を含む広い町域である。東は
八幡町
はちまんまち
八幡町
はちまんちよう
- 岐阜県:郡上郡
- 八幡町
郡上郡の中央部に位置し、長良川水系の
八幡町
やわたまち
八幡町
はちまんまち
八幡町
はちまんまち
八幡町
やわたまち
「飯田町組頭日記」(市立飯田図書館蔵)に「嶋田村八幡神宮寺門前家並商物之儀は、御城下町諸商売筋同様相心得罷在候趣ニ御座候得共、右場所は八幡参詣賑之ためニと御座候而、享保年中存来之商売は御免許被仰付、塩・茶之外ハ何品ニ不寄諸色御停止之品も無之候」とあるように、城下町並の商売が許されていたため、ついには「御城下町衰微之基ニ而、必至と困窮可仕歎ケ敷奉存候」と飯田城下町商人を嘆かせるほどの繁栄をみせた。
八幡町
はちまんちよう
八万町とも記す。中町から北の
八幡町
やはたまち
八幡町
はちまんちよう
八幡町
やわたちよう
八幡町
はちまんちよう
八幡町
はちまんちよう
八幡町
はちまんちよう
八幡町
やはたちよう
八幡町
はちまんちよう
八幡町
はちまんちよう
八幡町
やはたちよう
八幡町
はちまんまち
八幡町
はちまんちよう
八幡町
はちまんまち
八幡町
はちまんちよう
八幡町
やはたまち
八幡町
はちまんまち
八幡町
はちまんちよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報