下坂庄(読み)しもさかのしよう

日本歴史地名大系 「下坂庄」の解説

下坂庄
しもさかのしよう

現長浜市南西部にあった皇室領庄園。庄内は下坂庄と、正親町三条家を領家とする十条じゆうじよう十一条じゆういちじよう、および梶井宮門跡を領家とする九条くじよう郷・金次かなつぎ(金次保)に分れる。庄域は古代坂田郡条里の九―一一条の五―八里にわたり、現下坂中しもさかなか町・下坂浜しもさかはま町・大戌亥おおいぬい町・高橋たかはし町などに相当する。「民経記」寛喜三年(一二三一)九月二一日条によると、三条新大納言(藤原公氏)は「下坂庄」が伊勢奉幣の諸役を負担することを了承している。のち室町院領を中分した持明院統の伝領分に組入れられ、金剛勝こんごうしよう(現京都市東山区)領として、下坂庄は姫宮、十条・十一条は三条入道内府(公秀か)、九条郷・金次郷は梶井宮をそれぞれ領家としたようである(年未詳「室町院領目録」八代恒治氏旧蔵文書)。うち梶井宮門跡領の二郷は、正中二年(一三二五)同門主となった尊雲法親王(後醍醐天皇の子護良親王)に譲られ、金次郷は金次保と記される(「承鎮法親王付属状」三千院文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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