日本歴史地名大系 「下大槻村」の解説 下大槻村しもおおづきむら 神奈川県:秦野市下大槻村[現在地名]秦野市下大槻中央を金目(かなめ)川が西から東へ流れ、東は南金目(みなみかなめ)村(現平塚市)、北は南矢名(みなみやな)村、西は上大槻村・曾屋(そや)村に接する。金目川右岸の南平(なんぺい)を波多野(はだの)道が東西に、南矢名村境を大磯道が東西に通る。明徳四年(一三九三)三月晦日の関東公方足利氏満御教書(県史三)には、鎌倉浄光明(じようこうみよう)寺領として「大槻村」がみえ、諸公事などが免除されている。応永二七年(一四二〇)一二月二一日の関東公方足利持氏御教書(同書)では「波多野庄内平沢村・大槻村」、享徳二年(一四五三)一二月一五日の関東公方足利成氏御教書(同書)では「波多野庄内大槻村」が浄光明寺領として守護使等不入と諸公事の免除が下されている。小田原衆所領役帳には富永弥四郎「百貫三百卅四文 中郡大槻上下」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by