南平(読み)なんへい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「南平」の意味・わかりやすい解説

南平
なんへい / ナンピン

中国福建(ふっけん)省中部の地級市。閩江(びんこう)中流に沿い建陽(けんよう)など2市轄区、5県を管轄し、武夷山(ぶいさん)など3県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。人口319万2000(2014)、うち2万人超のショオ族(畬(よ)族)を含む。閩江の谷に沿う交通の要地として開け、明(みん)、清(しん)代には延平府の府治であった。1957年市制施行、1994年地級市となる。鷹厦(ようか)線(鷹潭(ようたん)―厦門(アモイ))、南福線(現、外福線。外洋―福州(ふくしゅう))が敷設されてから発展した。2015年には合福高速鉄道(合肥(ごうひ)―福州)も開通した。1958年に付近の木材を原料とする製紙工場が建設され、以後全国有数の新聞紙の産地となった。ほかにインキ、ペンキ、肥料などの化学工業、農機具、鉄鋼、セメントなどの工業が立地する。林産物スギ材のほか、松脂(まつやに)、タケノコ、シュロが多い。レアメタルタンタルおよびニオブの埋蔵は2336万トンで、国内1位、アジアでは2位である(2015)。

[青木千枝子・河野通博・編集部 2017年3月21日]

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改訂新版 世界大百科事典 「南平」の意味・わかりやすい解説

南平 (なんぺい)
Nán píng

中国,福建省中部北寄り,閩江(びんこう)の上流域に位置する新興都市。人口49万(2000)。邵武市など4市と5県を管轄する。来福鉄道(来舟~福州)が市の西の外洋で鷹厦鉄道(鷹潭(ようたん)~厦門(アモイ))に接続する。漢代に南平県が置かれ,明・清代は延平府の治所であった。1957年南平県の市街区に市制を敷き,60年には南平県を併入した。省北西部との交通の起点であり,省内の各地から鉄道などで運ばれた物資を西部に送り,また北西部の生産物を輸送する中心となっている。森林資源が豊富で,干したけのこ,シイタケ,松やに,薬材を産する。工業では機械,製紙,紡績工業が発達している。
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百科事典マイペディア 「南平」の意味・わかりやすい解説

南平【なんぺい】

中国,福建省中部,【びん】江(びんこう)中流の都市。【びん】江水運の中心で,浙江・広東・江西の各省へ連絡する商業都市。1958年外福鉄路(外洋〜福州)が開通し,上流のスギ・竹材などを集散する。付近に銅・鉛・スズを産する。85万人(2014)。
→関連項目【びん】江

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「南平」の解説

南平(なんぺい)

荊南(けいなん)

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世界大百科事典(旧版)内の南平の言及

【荆南】より

…907‐963年。南平または北楚ともいう。湖北のわずか3州のみを領有して,首都を江陵(荆州)においた。…

【五代十国】より

…中国で,907年(天祐4)にが滅び,960年(建隆1)にが成立して979年(太平興国4)に統一を完了するまでの時期を,五代十国時代という。この間,華北では後梁,後唐,後晋,後漢,後周の5王朝が興亡したので五代といい,その他の地域に前蜀,後蜀,,南唐,呉越(びん),荆南(南平),,南漢,北漢などが併存したので十国という。唐代後半の藩鎮割拠という分裂状態が唐の滅亡で極まったのがこの時代である。…

※「南平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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