日本歴史地名大系 「下奈良部村」の解説 下奈良部村しもならぶむら 栃木県:鹿沼市下奈良部村[現在地名]鹿沼市下奈良部町・みなみ町(ちよう)黒(くろ)川の左岸段丘上に位置し、東は上石川(かみいしかわ)村、南は植野(うえの)村、西は日光奈良部(につこうならぶ)村、北は上奈良部村。西部を黒川の支流瀬戸(せと)川が南流する。もとは上奈良部村・日光奈良部村と一村。初め上下二ヵ村に分れ、さらに元禄一四年(一七〇一)までに日光奈良部村が当村から分れたと思われる。慶安郷帳にみえる奈良部村二筆のうち幕府領分が当村にあたり、田一二四石余・畑五九石余。「寛文朱印留」では武蔵岩槻藩領。元禄郷帳には下奈良部村とみえ、高二九七石余、旗本小林・落合領で、幕末まで同じ。天保年間(一八三〇―四四)の家数二三(改革組合村)。慶応四年(一八六八)には家数二五・人数一四六、馬二一(小森文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by