日本歴史地名大系 「下宝沢村」の解説
下宝沢村
しもほうざわむら
江戸初期に宝沢村が上宝沢村と下宝沢村に分村して成立。最上氏改易後は山形藩領、延享三年(一七四六)下総佐倉藩領、同四年陸奥棚倉藩領、宝暦一三年(一七六三)再び佐倉藩領となる。寛永一三年(一六三六)の保科氏領知目録では宝沢村の高八三四石余。正保郷帳でも宝沢村一村で、田高四〇四石余・畑高四三〇石余・寺社領五石余。しかし領内では早い時期から二ヵ村に分村しており、寛永一六年の下宝沢村の定納一紙(下宝沢地区所蔵文書)があり、高五九二石余、村内の反別田二町余・畑二四町三反余(うち屋敷三町八反余)、ほかに上宝沢・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報