刈田嶺神社(読み)かつたみねじんじや

日本歴史地名大系 「刈田嶺神社」の解説

刈田嶺神社
かつたみねじんじや

[現在地名]蔵王町宮 馬場

みや北部の小丘上に老杉に囲まれて鎮座する。「延喜式」神名帳に「苅田嶺神社名神大」とある式内社とされるが、刈田岳山頂の同名神社とする説もある。祭神は日本武尊。白鳥はくちよう大明神白鳥神社としても知られる。旧県社。

新抄格勅符抄」に引く大同元年牒に「苅田神 二戸」とあり、当社とみられる。「続日本後紀」承和一一年(八四四)八月一七日条に「奉陸奥国無位勲九等刈田嶺神(中略)並従五位下、縁霊験也」とあり、同書嘉祥元年(八四八)五月一三日条に「刈田嶺名神正五位下」とある。


刈田嶺神社
かつたみねじんじや

[現在地名]蔵王町遠刈田温泉 仲町

刈田岳山頂に鎮座するが、東麓の遠刈田とおがつた温泉に里宮があり、冬期間はここに移す。「宮村安永風土記」には蔵王権現旅宮とあり、一〇月八日に下遷し、四月八日に上るという。祭神は天之水分神・国之水分神。旧郷社。古くは蔵王権現社といったが、明治五年(一八七二)水分みくまり神社に改め、同八年現社名とした。社伝によれば、役小角の叔父願行が「不忘山」山頂に大和国吉野の蔵王権現を勧請し、山名を蔵王山、社号を蔵王大権現と称し、戦国期には出羽最上氏の尊崇が厚く、近世は伊達氏の崇敬を受けたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の刈田嶺神社の言及

【白張】より

…平安時代以降,下級官人が着用した衣服の一種。上着と袴が対(つい)になっており,上着は(あお)系で,盤領(あげくび),身一幅の単(ひとえ)仕立て,狩衣(かりぎぬ)と同じ形である。裾をすぼめる括(くく)り袴をはく。白張とは白麻布にのりをつけて張りをもたせるという意味で,その生地でつくった襖も白張と呼ばれた。宮廷の小舎人(こどねり),公家や武家の供人の車副(くるまぞい)や松明(たいまつ)持ちなどが着た。…

※「刈田嶺神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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