日本歴史地名大系 「下富木村」の解説 下富木村しもとみきむら 兵庫県:加古川市旧印南郡地区下富木村[現在地名]加古川市西神吉町鼎(にしかんきちようかなえ)宮(みや)ノ前(まえ)村の西、法華山谷(ほつけさんたに)川の中流域に広がる通称神吉台地の北部に位置する。慶長国絵図に「下とひき」とみえる。正保郷帳によると田方四一五石余・畑方二九石余。元禄郷帳では高一九〇石余。村高が減少しているのは清水(しみず)村・長慶(ちようけい)村が分村したことによると思われる。天保郷帳では高二四二石余。当村および清水村・長慶村の三ヵ村は慶長年間(一五九六―一六一五)以来、志方庄(しかたのしよう)山への入会権を有してきたが入会運上銀をめぐる争論があり、延宝四年(一六七六)三ヵ村より銀九三匁余を志方庄に納めることで決着した(天保一二年「志方庄山入会につき取替証文」東飯坂町内会文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by