下富谷村(読み)したとみやむら

日本歴史地名大系 「下富谷村」の解説

下富谷村
したとみやむら

[現在地名]八日市場市ニ

富谷村の南に位置し、水田に取囲まれた砂丘列に集落が形成される。寛永一五年(一六三八)の下富谷村検地帳写(東京大学法学部法制資料室蔵)が残るが、後欠のため詳細は不明。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では旗本本田(本多)領五四石・同関口領二九石とあり、高組に属した。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高八三石余で、旗本本田・小林領。延享二年(一七四五)の小林領分の野手村外八箇村明細帳(海保家文書)によると家数六・人数三〇、馬一。年貢米は当村から五里の野尻のじり河岸(現銚子市)から積出し、江戸まで二〇里を川船で運び、運賃は一〇〇俵につき六俵であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android