日本歴史地名大系 「八日市場市」の解説 八日市場市ようかいちばし 面積:八〇・七五平方キロ千葉県の北東部に位置し、東は旭市、北東は香取郡干潟(ひかた)町、北は同郡山田(やまだ)町・多古(たこ)町、西は多古町および匝瑳(そうさ)郡光(ひかり)町、南は同郡野栄(のさか)町と接し、南東は太平洋に面する。ほとんどが沖積層からなり、地形は北部の下総台地に連なる標高三五メートルほどの台地と南部の標高五メートル前後の低地からなっている。北部を栗山(くりやま)川の支流借当(かりあて)川が東流する。市域のほぼ中央を国道一二六号が東西に走り、米倉(よなぐら)地区で分岐した国道二九六号が成田市三里塚(さんりづか)を経て首都圏へと通じる。国道一二六号に並行してJR総武本線が通り、飯倉(いいぐら)駅と八日市場駅がある。八日市場という地名については、応永二四年(一四一七)八月の日英末寺等支配注文(法宣院文書)に「八日市場講」とみえるのが早い例。江戸時代後期と推定される長徳寺文書によれば、今の八日市場は中世の福岡(ふくおか)郷を継承し、元亀―天正(一五七〇―九二)の頃から市が立始めたとされ、この頃は薬師の縁日の八日・一二日に市が立っていたというが、現在のどこに位置していたかはわかっていない。〔原始―近世〕市域内にある古代までの遺跡数は一〇〇ヵ所以上を数える。旧石器時代の遺物が出土した遺跡は安久山(あぐやま)遺跡・飯倉鈴歌(いいぐらすずか)遺跡以外は知られていないが、縄文時代の草創期から晩期の遺跡数は急増する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by