下岡忠治(読み)シモオカ チュウジ

20世紀日本人名事典 「下岡忠治」の解説

下岡 忠治
シモオカ チュウジ

明治・大正期の政治家,官僚 衆院議員(憲政会)。



生年
明治3年10月2日(1870年)

没年
大正14(1925)年11月22日

出生地
摂津国広根村(兵庫県)

別名
号=三峯

学歴〔年〕
帝大法科大学(現・東大)〔明治28年〕卒

経歴
内務省に入り、熊本県、京都府参事官、茨城県書記官、法制局書記官などを経て、30年秋田県知事、41年農商務省農務局長、大正元年農商務省次官、3年枢密院書記官長、つづいて内務次官。4年以来衆院議員当選4回、大隈内閣の内務省参政官を務め、憲政会幹部。13年朝鮮総督府政務総監となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「下岡忠治」の解説

下岡 忠治
シモオカ チュウジ


肩書
衆院議員(憲政会)

別名
号=三峯

生年月日
明治3年10月2日

出生地
摂津国広根村(兵庫県)

学歴
帝大法科大学(現・東大)〔明治28年〕卒

経歴
内務省に入り、熊本県、京都府参事官、茨城県書記官、法制局書記官などを経て、30年秋田県知事、41年農商務省農務局長、大正元年農商務省次官、3年枢密院書記官長、つづいて内務次官。4年以来衆院議員当選4回、大隈内閣の内務省参政官を務め、憲政会幹部。13年朝鮮総督府政務総監となった。

没年月日
大正14年11月22日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「下岡忠治」の解説

下岡忠治

没年:大正14.11.22(1925)
生年:明治3.10.2(1870.10.26)
明治大正期の官僚,政党政治家。号は三峯。摂津国(兵庫県)広根村に生まれる。父は下岡直一,母は寿子。明治25(1892)年第三高等中学校を卒業,このときの同級生に伊沢多喜男,浜口雄幸,幣原喜重郎がおり,彼らとの親交がそののちの下岡に大きな影響を与える。28年帝大法科大を卒業,高等文官試験を首席で及第し,法制局に長く勤務した。この間,都筑馨六の仲介で白根専一の姪・松子と結婚,いわゆる山県閥のひとりと目されるようになった。秋田県知事,農商務省農務局長,同次官,枢密院書記官長,内務次官を歴任,大正4(1915)年総選挙に立候補,当選する。その後,憲政会に入党し幹部となるが,山県閥とも依然関係を持っていたため総裁加藤高明との関係がしっくりいかず,加藤高明内閣では大臣ではなく朝鮮政務総監のポストについた。有能でありながら,決断を渋ったために十分に政界で活躍することはできなかった。<参考文献>『三峯下岡忠治伝』

(季武嘉也)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下岡忠治」の解説

下岡忠治 しもおか-ちゅうじ

1870-1925 明治-大正時代の官僚,政治家。
明治3年10月2日生まれ。内務省にはいり,法制局参事官などをへて,秋田県知事,農商務次官,枢密院書記官長,内務次官などを歴任。大正4年衆議院議員となり(当選4回),憲政会の幹部として第2次護憲運動に活躍した。大正14年11月22日死去。56歳。摂津川辺郡(兵庫県)出身。帝国大学卒。号は三峯。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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