日本歴史地名大系 「下川島村」の解説 下川島村しもかわしまむら 茨城県:下館市下川島村[現在地名]下館市下川島鬼怒(きぬ)川左岸、江戸道(結城街道)沿いに位置し、北は伊佐山(いさやま)村。中世は関(せき)庄に属したとされ(新編常陸国誌)、弘治二年(一五五六)に下総結城城主結城政勝が、結城町称名(しようみよう)寺の門徒中に与えた掟(「結城政勝書下状」称名寺文書)に「称名寺門徒之事(中略)川嶋永林坊(中略)右称名寺門徒中、各被致出仕、行事洒掃共ニ可被走廻候、自然被背此旨候輩、代々自館可被申付候也、依状如件、天文廿五(弘治二)年二月十五日 政勝(花押)」とあり、川島の名がみえる。元禄郷帳には下川島村三三九石余とあり、享保一一年(一七二六)には旗本秋山平太夫・大木喜兵衛の知行となっている(江連用水誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by