下平丸村(読み)しもひらまるむら

日本歴史地名大系 「下平丸村」の解説

下平丸村
しもひらまるむら

[現在地名]新井市下平丸

信越国境のほとけヶ峰・風野ふうの山から流れ出す平丸川に沿う谷間に通称細野ほその西脇にしわきたいら二梨ふたなしの四集落があり、北に離れて枝郷の寸分道すぶんどうがある。下平丸へ至る道は飯山いいやま道の猿橋さるはし村から分岐し、上平丸村に続く。寛永四年(一六二七)長沢ながさわ村との間で村境の紛争があり、「さかいめの儀はとりかくらの嶺より藤原嶺まて見渡ニ相定申候」と決定している(下平丸区長文書)。元禄一四年(一七〇一)六月の為取替申証文之事(下平丸区蔵)によると、信越両国山境論について幕府裁許絵図の結果いかんにかかわらず長沢村との入会慣行は従来どおり行うとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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