出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
長野県北東部,飯山盆地にある市。1954年飯山町と秋津,柳原,外様,常盤,木島,瑞穂の6村が合体して市制。人口2万3545(2010)。上杉謙信が築城して以来,江戸時代を通じて城下町として発達した。明治に入ってからは,下水内(しもみのち)地方の行政・経済の中心都市になっている。千曲川に沿い,気候的には北陸型の深雪地帯で,市域には戸狩,斑尾(まだらお)高原などのスキー場がある。斑尾高原を除くといずれも農家が冬季副業として始めたもので,民宿経営が多い。農村では稲作のほかアスパラガス,エノキダケの栽培が行われている。江戸時代からの伝統をもつ仏壇,内山和紙を特産し,カメラ,電気機械,スキーなどの近代工業もみられるが,工業生産はあまり盛んではない。信越本線から分岐する飯山線,中野市から長野電鉄河東線(2002年廃止),国道117号線,上信越自動車道が通じるが,産業面では豪雪の制約もあって人口減少が著しい。市街地は城下町のおもかげが比較的残り,雁木を備えた町並みが続き,恵端(えたん)禅師の正受庵をはじめ寺院が多いのがめだつ。
執筆者:市川 健夫
信濃国水内郡の城下町。1530年(享禄3)諏訪下社秋宮の御柱(おんばしら)の〈造宮帳〉に〈飯山之内へちい(未詳)〉とあるのが,最古の記録。関田峠や富倉峠を越えて上越地方に接する交通の要地として,戦国時代末期は上杉謙信の支配下に入り,その居城春日山の重要な出城となった。1610年(慶長15)からの堀直寄時代に上町・下町・肴町3町,4万石領の城と城下町が造られ,松平忠俱(ただとも)の代,元禄年間(1688-1704)に町も拡大され,5町,233軒という記録がある。1717年(享保2)以降,本多氏2万石の城下となって幕末に至った。城のすぐ東を流れる千曲川のはんらんで,町も領内村々も洪水の被害をしきりに受けた。中世以来の越後とを結ぶ何本もの峠道は,北信一帯への塩などの輸送路で,飯山には何軒もの塩問屋があった。1868年(明治1)4月,戊辰戦争の中で幕府歩兵頭古屋作左衛門が,越後から進攻し,侍屋敷や町内のかなりの部分が焼失した。越後との国境の山脈を越える北西風のため,冬は豪雪に見舞われる一方,乾季には町の大火を何度も経験している。明治10年代に鉄道建設に反対したため,信越本線からはずれ,千曲川の舟運も衰退した。1920年から飯山鉄道(現,飯山線)の着工をみた。
執筆者:河内 八郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
香川県中央部、綾歌郡(あやうたぐん)にあった旧町名(飯山町(ちょう))。現在は丸亀市(まるがめし)の中央部東寄りを占める一地区。讃岐(さぬき)平野の一部を占める。旧飯山町は1956年(昭和31)坂本、法勲寺(ほうくんじ)の2村が合併、町制施行して成立。町名は、北端部の讃岐富士ともよばれる飯野山(いいのやま)(422メートル)にちなむ。2005年(平成17)丸亀市に合併。国道438号が通じる。米作のほか、モモ、ブドウ、ミカンなどの果樹栽培が行われる。とくにモモの栽培が盛んで、県下一の産地である。モモの花の咲くころは、飯野山、城山(きやま)の山麓(さんろく)はピンクに彩られる。朝鮮式山城の遺構がある城山は国指定史跡。坂出市の臨海工業地帯のベッドタウンとして人口増加が著しい。それに伴い、大型店舗の出店も相次いでいる。
[稲田道彦]
『『飯山町誌』(1988・飯山町)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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