下押萩新田村(読み)しもおしはぎしんでんむら

日本歴史地名大系 「下押萩新田村」の解説

下押萩新田村
しもおしはぎしんでんむら

[現在地名]十四山村下押萩

東と北は善太ぜんた川を越えて鍋蓋なべぶた新田村(現蟹江町)、南は竹田たけだ新田村に接する慶安三年(一六五〇)開墾の村。「徇行記」によれば、村高四三石余はすべて蔵入地で、田は三町四畝余、畑は八反三畝余。「寛文覚書」に戸数七、人数三四とある。「徇行記」が「高ニ準シテハ戸口多ク他村ヘ出作ス、此田面ハ漸ク潮イタミテ葭ノ生立タル所多クナレリ、又コヽニ大ヒナル海用アリ、是ハ宝暦七丑年西保村ニ於テ木曾川決壊セシ時水潦泛溢シテ、内ヨリ海ハリケレタル所ナリ」と記すように佐屋さや川の決壊で、堤が破れるなど常に水禍にさらされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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