竹田(読み)タケタ

デジタル大辞泉 「竹田」の意味・読み・例文・類語

たけた【竹田】[地名]

大分県南西部の市。もと中川氏の城下町滝廉太郎作曲「荒城の月ゆかり岡城跡がある。市内各所に湧水がある。平成17年(2005)4月に直入なおいり郡3町と合併。人口2.4万(2010)。

たけだ【竹田】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「竹田」姓の人物
竹田出雲たけだいずも

ちくでん【竹田】

田能村竹田たのむらちくでん

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精選版 日本国語大辞典 「竹田」の意味・読み・例文・類語

たけだ【竹田】

[一] 京都市伏見区北西部の地名。鳥羽天皇の離宮があった所で、鳥羽・白河・近衛天皇陵がある。
散木奇歌集(1128頃)夏「心からたけだの里にふしそめて幾夜くひなにはかられぬらん」
[二] 大和国(奈良県)磯城郡の地名。現在の橿原市東竹田町から磯城郡田原本町西竹田にかけての一帯にあたる。
※万葉(8C後)四・七六〇「うち渡す竹田(たけた)の原に鳴く鶴(たづ)の間無く時無し吾(あが)恋ふらくは」
[三] 竹田近江(たけだおうみ)のこと。
※俳諧・武玉川(1750‐76)四「竹田が顔を物凄く見る」

たけた【竹田】

大分県南西部の地名。江戸時代は中川氏七万石の城下町。阿蘇・九重・祖母などの山々に囲まれた竹田盆地にあり、農業を主とする。南画家田能村竹田(たのむらちくでん)の旧宅竹田荘や、滝廉太郎が「荒城の月」作曲の想を得た岡城址などがある。昭和二九年(一九五四)市制。

ちくでん【竹田】

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改訂新版 世界大百科事典 「竹田」の意味・わかりやすい解説

竹田[市] (たけた)

大分県南西部にある市。2005年4月旧竹田市と荻(おぎ),久住(くじゆう),直入(なおいり)の3町が合体して成立した。人口2万4423(2010)。

竹田市南西部の旧町。旧直入郡所属。人口3584(2000)。阿蘇外輪山東麓に位置し,西は熊本県に接し,ほかは旧竹田市に囲まれる。阿蘇溶岩におおわれ,西から東へゆるやかに傾斜する高原地帯で,農業を主とする。昭和初期に大野川上流の大谷川から引水する荻柏原井路が竣工し,一帯の水田化が進んだ。米作のほか,牛の飼育や高原野菜の栽培が盛んである。大野川源流に白水の滝で知られる陽目渓谷があり,付近ではカワノリが自生する。北部の新藤にある荻神社には湯立神事が伝わる。JR豊肥本線が通じる。

竹田市北西部の旧町。旧直入郡所属。人口4725(2000)。久住山南麓に位置する。中心の久住は江戸時代は熊本藩領で,熊本と鶴崎を結ぶ肥後街道宿場町として発達した。現在も道路交通の要地となっている。九重火山群南麓の広大な高原では牧牛が行われ,米作やシイタケ高冷地野菜の栽培も盛んである。北部一帯は久住山を中心とする九重火山群が占め,南に久住高原が広がり,雄大な自然景観を呈する。阿蘇国立公園に属し,キャンプ場や国民宿舎などの観光施設がある。標高1300mの坊ガツルに法華院温泉(土類硫化水素泉,42~65℃)があり,久住山などの登山基地となっている。温泉名は江戸時代に存在した天台宗法華院白水寺にちなむ。
執筆者:

竹田市中南部の旧市。1954年直入郡竹田町,玉来(たまらい)町と豊岡,入田(にゆうた),挟田(はさだ)など8村が合体,市制。人口1万7489(2000)。市域は南に祖母山(1756m)などがそびえるほかは,標高200~600mの丘陵地で,大野川上流の多くの本支流が阿蘇外輪山東麓にひろがる溶岩台地を浸食して形成された。本支流の扇の要にあたる地に中川氏の城下町として竹田の市街地が発達した。現在,大分と熊本を結ぶJR豊肥本線および国道57号,442号,502号線が通る。主産業は農業であるが,水田は条件の悪い棚田作りが大部分である。特産としてカボスサフランがある。大野川の支流稲葉川と玉来川にはさまれた要害の地に,滝廉太郎作曲の《荒城の月》ゆかりの岡城跡(史)がある,幕末の南画家田能村竹田(たのむらちくでん)の旧宅竹田荘(史),1635年(寛永12)建築の愛染堂,円通閣,ドーム形のキリシタン洞窟礼拝堂などがあり,拝田原(はいだばる)の中川神社には〈HOSPITAL SANTIAGO 1612〉銘の銅鐘(重要文化財)が伝わる。また戸上(とのうえ)には前方後円墳2基などを含む七ッ森古墳(史)があり,周辺には縄文時代や弥生時代の遺跡も多い。
執筆者:

豊後国岡藩の城下町。中世は大友氏の重臣志賀氏の代官支配地。大友氏の改易に伴い,志賀氏も岡城を去り,1593年(文禄2)中川秀成が,6万6000石を与えられ,翌年2月,岡城に入る。城の拡張,改造を行うとともに,丸山藤左衛門を奉行として大野川と稲葉川の合流する小盆地の竹田村を城下町とした。その際,旧城下の挟田や宿場町玉来などから商家を移した。行政的には竹田村159石余であるが,武家屋敷として殿町,向丁,鷹匠町,寺町などの町名があり,町屋は俗に〈竹田千軒〉と称され,本町,上町,田町,新町,府内町,代官町,魚町,古町,下町という町名があった。古町には,1636年(寛永13)銭座が置かれ,一文銭が鋳造された(3年後廃止)。古川古松軒は〈町は大概よき所にして諸品自由の地なり〉〈万事この城下ならでは調ひがたき故に,何に不足なきやうに,商人のたくはへ豊とみえたり〉(《西遊雑記》)と評している。家数は19世紀初めに510,1876年(明治9)には戸数715。
執筆者:

竹田市北東部の旧町。旧直入郡所属。人口2891(2000)。九重山東麓,大分川支流の芹(せり)川流域に位置し,南部は旧竹田市に接する。中心の長湯は芹川に臨む温泉(重炭酸土類泉,45~50℃)の町である。古くは隣接する旧久住町の一部を含めて朽網(くたみ)郷と呼ばれた。天文年間(1532-55)にはキリスト教の布教が進み,領主朽網氏以下信者は約300人を数え,豊後府内(現,大分市)などとともに全国有数の布教区の一つであった。米作のほか,シイタケ栽培,畜産が行われ,近年は高冷地野菜や花木の栽培が盛んである。馬門(まかど)に線彫磨崖仏,原に〈INRI〉の文字のあるキリシタン墓碑,下河原にキリシタン墓があり,北東部の芹川ダムは冬のワカサギ漁で知られる。また九重山への登山基地になっている。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竹田」の意味・わかりやすい解説

竹田
たけだ

兵庫県北東部,朝来市北部にある集落。旧町名。 1956年和田山町と合体。 2005年生野町,山東町,朝来町と合体して朝来市となった。東は桜の名所立雲峡で知られる朝来群山県立自然公園の山々,西は山名持豊 (宗全) が築いた中世末期の山城を代表する竹田城 (虎臥城) 跡 (史跡) がある古城山が迫る。家具,食器類など伝統の木工品の産地。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹田」の解説

竹田 ちくでん

田能村竹田(たのむら-ちくでん)

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普及版 字通 「竹田」の読み・字形・画数・意味

【竹田】ちくでん

竹やぶ。

字通「竹」の項目を見る

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デジタル大辞泉プラス 「竹田」の解説

竹田

大分県竹田市にある道の駅。国道442号に沿う。

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世界大百科事典(旧版)内の竹田の言及

【田能村竹田】より

…名は孝憲,字は君彝(くんい),通称行蔵。竹田のほか九畳外史などと号した。豊後国竹田村(現,大分県竹田市)に生まれる。…

※「竹田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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