佐屋(読み)さや

日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐屋」の意味・わかりやすい解説

佐屋
さや

愛知県西部、海部郡(あまぐん)にあった旧町名(佐屋町(ちょう))。現在は愛西(あいさい)市の南東部を占める一地区。海抜ゼロメートル地帯で、古い集落は旧佐屋川の自然堤防上にある。1955年(昭和30)佐屋村が市江(いちえ)村の一部を編入して町制施行。2005年(平成17)佐織(さおり)町、立田(たつた)村、八開(はちかい)村と合併、市制を施行して愛西市となる。JR関西本線、名古屋鉄道尾西(びさい)線、国道1号、155号が通じる。近くに東名阪自動車道の弥富(やとみ)インターチェンジがある。東海道の海上七里の渡しを好まぬ人たちのために1634年(寛永11)脇往還(わきおうかん)佐屋路(じ)が開通、佐屋宿、佐屋湊(みなと)ができた。佐屋宿には本陣、問屋、旅籠(はたご)が置かれ、伝馬、人足各50が常備された。佐屋湊には舟番所、舟17隻(1868)があり、佐屋―桑名(くわな)間3里の旅は舟運によった。湊は廃藩置県(1871)で廃止、佐屋川も明治末期には廃川となった。トマトや鉢花栽培など近郊農業が行われ、地場産業の繊維工業のほか、機械工業も進んでいる。近年、名古屋市への通勤者が急増している。

[伊藤郷平]

『『佐屋町史』全7巻(1976~1996・佐屋町)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐屋」の意味・わかりやすい解説

佐屋
さや

愛知県西端,愛西市南東部の旧町域。 1955年佐屋村と市江村の一部が合体して町制。 2005年立田村,八開村,佐織町の3町村と合体して愛西市となった。佐屋街道の旧宿場町で,江戸時代佐屋川 (廃川) に佐屋湊が置かれていた。ここから長島を経て桑名に達する船路が3里 (約 12km) あり,「三里の渡し」といわれ,東海道の熱田-桑名間「海上七里の渡し」を嫌う旅人に利用された。土地は近世干拓地で,近郊農業が行なわれるが,兼業農家が多く,名古屋への通勤者が増え,都市化が進んでいる。

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改訂新版 世界大百科事典 「佐屋」の意味・わかりやすい解説

佐屋 (さや)

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