下教来石村(読み)しもきようらいしむら

日本歴史地名大系 「下教来石村」の解説

下教来石村
しもきようらいしむら

[現在地名]白州町下教来石

釜無川上流右岸、西部山地から流出するながれ川の小扇状地上に位置する。古くは北西の上教来石村と一村をなしていたが、慶長検地により上・下二ヵ村に分離したと伝える。当地に教来石氏の宅跡がある(甲斐国志)。同氏は武川衆で、「一蓮寺過去帳」の貞和二年(一三四六)頃にみえる性阿弥陀仏に付された「毛浦吉」は教来石のこととされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む