下植木村(読み)しもうえきむら

日本歴史地名大系 「下植木村」の解説

下植木村
しもうえきむら

[現在地名]伊勢崎市昭和町(しようわちよう)・宮前町(みやまえちよう)・東本町(ひがしほんまち)・下植木町・三和町(さんわちよう)

大間々(おおまま)扇状地扇端部の南に位置。東は蓮(はちす)村、南は今泉(いまいずみ)村、西は伊勢崎町、北は上植木村。伊勢崎町との境を粕(かす)川が流れ、字海老谷戸(えびかいと)で東流して当村を横断する。飛地の書上(かきあげ)が蓮村の北、上植木村の東にあり、大井戸(おおいど)・天(あま)ヶ池の湧水がある。また村内には伊勢崎藩主稲垣氏の菩提寺の天増(てんぞう)寺領四〇石の通称中里(なかざと)村がある。三百帖見聞奥書(叡山文庫天海蔵)に「淵名庄下殖木郷」とある。もと上植木村と一村で、正安年中(一二九九―一三〇二)に分村したと伝える(上植木元文書上帳)。

「寛文朱印留」に村名がみえ、前橋藩領。寛文郷帳では田方四二〇石余・畑方三二六石余。近世後期の御改革組合村高帳でも同藩領、家数一一九。幕末期には境(さかい)町(現佐波郡境町)の助郷村であった(殖蓮公民館蔵文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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