日本歴史地名大系 「蓮村」の解説 蓮村はちすむら 群馬県:伊勢崎市蓮村[現在地名]伊勢崎市日乃出町(ひのでちよう)・豊城町(とよしろちよう)・上諏訪町(かみすわちよう)大間々(おおまま)扇状地扇端部の南に位置。村の中央北寄りに赤城山の噴火による独立泥流丘の権現(ごんげん)山(九一・二メートル)がある。北は下植木(しもうえき)村の飛地書上(かきあげ)、東は小保方(おぼかた)村(現佐波郡東村)、南は伊与久(いよく)村(現同郡境町)、西は上植木村・下植木村。北方の書上の天(あま)ヶ池・大井戸(おおいど)の湧水により開析された谷地が、台地の両端を南北に延びる。水田はこの谷地にあり、湧水に依存した。需要期には水量が十分でないため溜池を利用。「長楽寺永禄日記」永禄八年(一五六五)三月一五日条に「ハチス」とみえる。 蓮村はちすむら 長野県:飯山市蓮村[現在地名]飯山市大字蓮現飯山市南端の村。北は静間(しずま)村に接し、対岸は壁田(へきだ)・柳沢(やなぎさわ)・田上(たがみ)村(現中野市)。千曲川西岸に上流から上組(かみぐみ)・中組(なかぐみ)・山根(やまね)・五位野(ごいの)、谷筋道に沿って駒立(こまだて)・飯沢(いいざわ)・茂右(もえ)衛門新田(もんしんでん)・深沢(ふかさわ)・境沢(さかえざわ)、斑尾(まだらお)山麓に南善寺(なんぜんじ)・柳久保(やなぎくぼ)・堀越(ほりこし)の集落がある。南善寺に字沓掛(くつかけ)、駒立に字たて・立平がある。応永一一年(一四〇四)一二月の市河氏貞軍忠状(市河文書)に、同年九月高梨左馬助が上意に背いたため、氏貞は「加佐・蓮」で信濃守護代細川慈忠と戦ったとあるのが初見。 蓮村はちすむら 三重県:飯南郡飯高町蓮村[現在地名]飯高町蓮蓮川をさかのぼり、四方を山に囲まれた地域にある。寛永一八年(一六四一)検地帳(徳川林政史蔵)に「蓮山村」と記されている。明治二年(一八六九)大指出帳(同蔵)には「田方無御座候」と記され、山間の村の特徴がうかがえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by