日本歴史地名大系 「下永吉村」の解説 下永吉村しもながよしむら 千葉県:茂原市下永吉村[現在地名]茂原市下永吉・中の島町(なかのしまちよう)上永吉村の北東に位置し、東を南流する一宮(いちのみや)川と西の丘陵地帯の間にある。延宝四年(一六七六)永吉村が当村と上永吉村に分村したと考えられる。このとき当村は旗本渡辺貞の知行地となり、渡辺領として幕末に至ったと思われる。元禄郷帳に村名がみえ、高五〇〇石。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高五五三石余、家数一五二。元治二年(一八六五)頃、領主渡辺為之助の屋敷は江戸小石川下富坂(こいしかわしもとみさか)町にあり、年貢の取立ては毎年旧九月中旬より始めて一一月下旬までに終わる。初米取立ての前日には、年番名主が定使に命じて大通を「明日は御年貢米取立て」と触歩かせ、当日は当村と早野(はやの)村の両名主と定使が一俵三斗八升入りの米を改め、その日より数回収納して一〇月より津出しを始め、馬で八幡(やわた)村(現市原市)船宿荷物運送方へ駄送した(下永吉村風土誌雑談)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by