日本歴史地名大系 「茂原市」の解説 茂原市もばらし 面積:一〇〇・〇一平方キロ県中央部のやや東寄りの内陸部に位置し、東は長生(ちようせい)郡白子(しらこ)町・長生村、南は同郡睦沢(むつざわ)町・長南(ちようなん)町、西は同郡長柄(ながら)町、市原市、北は千葉市・山武(さんぶ)郡大網白里(おおあみしらさと)町に接する。市域の大半は沖積層で覆われた九十九里平野の西縁で、西部は洪積層の房総丘陵、丘陵を源に一宮(いちのみや)川とその支流の豊田(とよだ)川・阿久(あく)川・鶴枝(つるえ)川が東流・南流し、南白亀(なばき)川支流の赤目(あかめ)川が市域北部を東流している。市の中央を南北にJR外房線が本納(ほんのう)駅―新茂原駅を通って茂原駅に達し、そこから南東へ曲がって長生村の八積(やつみ)駅を経て一宮町の上総一ノ宮駅に至っている。市の中心部の茂原駅周辺は国道一二八号を挟んで市街地を形成し、商業地域をなしている。近世の当市域はおよそ一宮川左岸の長柄郡、同川右岸の埴生(はぶ)郡に分属し、一部は山辺(やまべ)郡に所属していた。〔原始―近世〕縄文時代から古墳時代の遺跡は下太田(しもおおだ)貝塚・宮(みや)ノ台(だい)遺跡・国府関(こうぜき)遺跡などが知られ、山崎(やまさき)を中心とする山崎横穴群では古墳の横穴式石室から派生したとみられる横穴がみられる。平安時代後期には市域中央部を中心に藻原(もばら)庄、その北に橘木(たちばな)庄が山辺郡境まで広がっており、のちに市域の大部分は同庄を継承した二宮(にのみや)庄となる。日蓮が藻原に来たのは鎌倉時代中期のことで、支持者であった藻原の領主斎藤兼綱は自分の館の一部を提供し、建治二年(一二七六)には本堂を建立、日蓮の高弟日向が開山となり妙光(みようこう)寺(近世初頭頃に藻原寺と改称)と称した。やがて同寺の近傍には集落も発展し、西隣には同三年鷲山(じゆせん)寺が建立されたという。貞治元年(一三六二)には鎌倉公方足利基氏が二宮庄庄吉(しようよし)郷を鎌倉円覚寺舎利殿に寄進している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「茂原市」の意味・わかりやすい解説 茂原〔市〕もばら 千葉県中部,九十九里平野南西部にある市。 1952年茂原町と鶴枝 (つるえ) ,五郷 (ごごう) ,二宮本郷 (にのみやほんごう) ,豊田 (とよだ) ,東郷 (とうごう) の5村が合体して市制。九十九里浜の塩や海産物と,農村部の農産物を取引する市場町として発展。木綿,鋳物,酒造などの産業も興り,明治以後は周辺の行政,商業,交通の中心地となった。メタン系天然ガスの豊富な地で,1932年の天然ガス開発後は,これを原・燃料とする化学,電機などの近代工業が興り,工業都市として発展。ほかにも精密機械などの工場が市街地周辺に立地している。天然記念物鶴枝ヒメハルゼミの発生地がある。 JR外房線,国道 128号線,409号線が通る。面積 99.92km2。人口 8万6782(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by