日本歴史地名大系 「下深谷部村」の解説 下深谷部村しもふかやべむら 三重県:桑名市下深谷部村[現在地名]桑名市下深谷部・北川原台(きたがわらだい)・枇杷島台(びわじまだい)・川崎(かわさき)町現桑名市の北部にあり、蛎塚(かきづか)新田の北に位置する。東は揖斐(いび)川に臨み、西は丘陵地。南北に美濃街道が通る。桑名郡では最大面積の村で、上組・下組と二分する。一帯は低湿地で、旧名を深江辺(ふかえべ)と称したのが、のち深矢部(ふかやべ)、さらに深谷部に改称したといわれる(北勢古志)。古代遺跡として西林寺(さいりんじ)古墳・山王(さんのう)貝塚があり、また式内深江(ふかえ)神社がある。文永八年(一二七一)五月の道智(二階堂行氏)置文案(薩摩二階堂文書)に、<資料は省略されています>とある。当時の益田(ますだ)庄は二階堂行氏が地頭職を勤めていたが、荘内の深矢部郷を延寿御前に譲ったため、境界線を定めた文書であろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by