下瀬加村(読み)しもせかむら

日本歴史地名大系 「下瀬加村」の解説

下瀬加村
しもせかむら

[現在地名]市川町下瀬加

東川辺ひがしかわなべ村・上田中うえたなか村の東、岡部おかべ川流域に位置する。下瀬賀村などとも記され(「寛文朱印留」など)神東じんとう郡に属した。「播磨国風土記神前かんざき川辺かわのべ里の条に勢賀川とみえ、品太天皇が狩で猪鹿を数多く捕らえたため勢賀と名付けられたという。平安時代末期から中世にかけては世賀せか庄に含まれた。慶長九年(一六〇四)一〇月一八日の池田輝政家臣地方知行状(鳥取県立博物館蔵)に下瀬加とみえ、荒川半右衛門は当村のうちで一五〇石を加増されている。慶長国絵図には下瀬か村とみえる。江戸時代を通じて姫路藩領であった。正保郷帳には下世加村とあり、田方五〇五石余・畑方一一三石余、「芝山有・新田有」と注記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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