下矢作村(読み)しもやはぎむら

日本歴史地名大系 「下矢作村」の解説

下矢作村
しもやはぎむら

[現在地名]一宮町下矢作

川の氾濫原に位置し、東は小城こじよう村・北都塚きたみやこづか村、北は日川を越えて一町田中いつちようたなか(現山梨市)。古くは上矢作村とともに矢作郷に含まれたと考えられる。貞治三年(一三六四)二月一五日の一蓮寺寺領目録(一蓮寺文書)に「矢作郷」とみえ、文和四年(一三五五)一〇月八日に僧周逸が郷内の賀茂宮経田五段を同寺に寄進している。天正一〇年(一五八二)と考えられるが、岡部正綱・曾禰昌世により新津直太郎が本領替地のほかとして矢作地内の七〇貫文を与えられている(八月九日「岡部正綱・曾禰昌世連署証文」早川文書)両者はともに武田家旧臣でのちに徳川家に仕えた人物なので、当地をめぐる采配徳川家康の命によるものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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