下谷茅町二丁目(読み)したやかやちようにちようめ

日本歴史地名大系 「下谷茅町二丁目」の解説

下谷茅町二丁目
したやかやちようにちようめ

[現在地名]台東区池之端いけのはた一―二丁目

下谷茅町一丁目の北に続く。東は不忍しのばず池に面し、西は称仰院しようぎよういん門前と越中富山藩前田氏上屋敷(ともに現文京区)、北は池之端七軒いけのはたしちけん町。寛永九年(一六三二)東叡山寛永寺の門前町になった(文政町方書上)。町の規模は東側は南北間口一七七間余、奥行東西は南方二三間・北方二六間余、西側は南北間口八〇間三尺余、奥行東西は南方九間・北方三間三尺・中ほど一六間(御府内備考)。文政九年(一八二六)の家数一九四、うち地主九・家守三六・地借三八・店借一一一。東叡山門前地となって以後の支配代官は下谷茅町一丁目と同じ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android