日本歴史地名大系 「池之端仲町」の解説 池之端仲町いけのはたなかちよう 東京都:台東区旧下谷区地区池之端仲町[現在地名]台東区上野(うえの)二丁目・池之端一丁目上野元黒門(うえのもとくろもん)町の西にあり、西は下谷茅(したやかや)町一丁目と玄桂(げんけい)屋敷(現文京区)、南は旗本加藤氏と備中庭瀬藩板倉氏の上屋敷(現同上)。北の不忍(しのばず)池に沿って東西に細長く広がっている。寛永五年(一六二八)に東叡山寛永寺の門前町として起立した(文政町方書上)。寛文新板江戸絵図には「中町」とあり、沿革図書には元禄一〇年(一六九七)の図から「池之端仲町東叡山拝領町屋」と町名が明示されている。東寄りに不忍池のほとりから町を南北に縦断する吹貫横(ふきぬけよこ)町があり、池を渡ってくる北風が吹抜けたので命名されたという。この横町を境にして東仲町と西仲町に分けられ、東仲町は長井(ながい)堤ともいわれた。この近辺が長井庄で斎藤別当実盛が住んでいたという伝説もある(下谷区史)。町の規模は東西二一九間三尺余、南北は東方二二間・西方二九間、片側町。文政九年(一八二六)の家数一七一、うち地主一〇・家守三三・地借四二・店借八六。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by