日本歴史地名大系 「下金山村」の解説 下金山村しもかなやまむら 千葉県:成田市下金山村[現在地名]成田市下金山和田(わだ)村の西に位置し、西は北流する根木名(ねこな)川を挟み押畑(おしはた)村。永正六年(一五〇九)九月二八日の千葉勝胤判物(浄泉寺文書)に下金山とみえ、千葉勝胤は粟飯原左近将監の所領であった当所などを粟飯原右衛門三郎に安堵している。小字に鍛冶(かじ)谷津(やつ)・横打(よこうち)などがあり、檀那門跡相承資(逢善寺文書)には宝徳四年(一四五二)三月一九日の弘尊注記として「埴生庄釜山」とみえることから、鍛冶師・タタラ師などが居住したとする説もある。正保三年(一六四六)の宮免田指出状(下金山区有文書)によると、文禄三年(一五九四)に検地が行われ、高三三二石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by