下須戒村(読み)しもすがいむら

日本歴史地名大系 「下須戒村」の解説

下須戒村
しもすがいむら

[現在地名]長浜町下須戒

ひじ川河口から二キロ上流にさかのぼった左岸地域と支流大和やまと川流域にまたがった村。肱川河岸の大陰おおかげ城には、天文―天正年間(一五三二―九二)にかけて初め下須戒氏のち矢野氏が居城して、進攻してきた河野・毛利・長宗我部の軍勢と戦い、永禄一一年(一五六八)と元亀三年(一五七二)の二度にわたって陥落した。最後の城主矢野正孝(正高)は、天正一五年下野し、孫の代から当村の庄屋となり、以後世襲した。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)喜多郡の項に「下須戒村 茅山有、川有」とある。大洲藩領。寛文七年(一六六七)の「西海巡見志」は、家数八五軒、舟数四艘一六〇石積より二八〇石積まで、加子数三一人、うち役加子一二人、と周辺村に比して大きな村勢を伝えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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