日本歴史地名大系 「下食満村」の解説 下食満村しもけまむら 兵庫県:尼崎市旧川辺郡地区下食満村[現在地名]尼崎市食満一丁目・同六―七丁目・東園田町(ひがしそのだちよう)三―四丁目・田能(たのう)一丁目・瓦宮(かわらのみや)一丁目中食満村の南に位置し、村領内を藻(も)川が南流する。上食満村から大坂道が南下する。北部の中食満村との境は複雑な入組みと飛地がある。慶長国絵図に下飯満とみえ高二九七石余。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳に村名がみえ、幕府領(建部与十郎預地)。寛永三年(一六二六)大坂城代阿部正次(武蔵岩槻藩)領、慶安元年(一六四八)幕府領、同二年大坂定番安部信盛(武蔵岡部藩)領となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by