下馬伏村(読み)しもまぶしむら

日本歴史地名大系 「下馬伏村」の解説

下馬伏村
しもまぶしむら

[現在地名]門真市下馬伏

北は上馬伏村、南は御領ごりよう(現大東市)。南北に長い平坦地の村。周囲は悪水井路と囲縄手で画する。集落は村域の中央にあり南部の字江端えばたに出郷がある。江端は江畑とも書いた。村の中央を通る幅八尺の里道は、東の岸和田きしわだ村境より入り村の西部字来損らいそんで止まる。中世馬伏庄の地。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では高七一三石余、小物成として葭蓮年貢米三石三斗。寛永一〇年(一六三三)山城淀藩永井尚政領、明暦四年(一六五八)分知されて尚政の三男尚庸領となる。その子直敬の貞享四年(一六八七)下野烏山からすやま入封に伴い高五一石余は幕府領となり(明治一五年下馬伏村誌)幕末まで続く。残る六六七石余は永井氏の転封に伴い播磨赤穂藩領・信濃飯山藩領・武蔵岩槻藩領・美濃加納藩領となり幕末に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む