北河内の南部、淀川と寝屋川の中間に位置する。北から東は寝屋川市、東から南は
縄文時代前期(約七千―六千年前)、市域は海面下にあった。弥生時代後期から古墳時代前期(約一千八〇〇―一千六〇〇年前)には、流入する淀川諸流ほかの堆積作用によって水域が減少し、河内低地は河内湖とよばれる淡水湖になった。市域の弥生時代の遺跡は多くないが、古川堤に近い
低湿地を水田化する本格的な営みは当市域では五世紀からであったと思われる。淀川は現在の流路のほかに、現在の寝屋川と古川の川筋を通って河内湖に流入していた。「日本書紀」仁徳天皇一一年条の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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