朝日日本歴史人物事典 「下駄屋甚兵衛」の解説
下駄屋甚兵衛
天明7(1787)年6月17日に,関東郡代伊奈忠尊に政治意見書を上書した人物。江戸麹町13丁目(千代田区)に住む店借人で,職業は下駄屋(鍛冶屋とも)。意見書の内容は14カ条からなり,田沼意次の貨幣政策や運上政策を批判し,新しい政治を期待している。上書した2日後の19日に,松平定信が寛政の改革政治を開始しているので,甚兵衛はその情報をいち早くキャッチしていたものと思われる。情報に敏感な彼は,その後,角丸屋甚助という名の出版人として活躍したらしい。角丸屋は,文化年間(1804~18)に貸本屋から書物問屋に成長し,曲亭馬琴の読本や,宿屋飯盛(石川雅望)の狂歌集や,有名な「北斎漫画」などを次々に出版している。馬琴の『近世物之本江戸作者部類』によれば,角丸屋甚助は「旧名を甚兵衛と呼で,天明のころまで元飯田町中坂の裏屋に居り,日毎に下駄を売あるきしかば,地方の人,下駄甚と呼做したり。素より争訴訟を好みしかば,故の白川侯(松平定信)へ駕訴せしことあり」という人物である。記事に若干の相違はあるが,関東郡代に上書した下駄屋甚兵衛と,書物問屋の角丸屋甚助とはおそらく同一人物であろう。政治に鋭い関心を持つ出版人が江戸にはいたのである。
(竹内誠)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報