朝日日本歴史人物事典 「伊奈忠尊」の解説
伊奈忠尊
生年:明和1(1764)
江戸後期の関東郡代。通称は半左衛門,摂津守,右近将監。備中国松山(岡山県高梁市)藩主板倉勝澄の11男。のち伊奈忠敬の養子。安永7(1778)年遺跡を継ぎ,郡代職を世襲,天明4(1784)年老中支配下となる。翌5年勘定吟味役の上席。6年小姓番頭格,翌7年摂津守に叙任。郡代在任中に関東水害の対策,江戸打毀し騒動を収拾。窮民救済,米穀払底対策に敏腕を振るい,心学の普及などで活躍。寛政3(1791)年家中内紛のため謹慎を命ぜらる。翌4年一時許されたが,同年養子忠善の出奔による家事不行届その他の理由で罷免される。郡代在職13年9カ月。知行3960石余を没収され,兄板倉勝政さらに南部信房のもとに預けられ31歳で没した。墓は東京都文京区本駒込の吉祥寺。伊奈家は累代の功績により断絶を免れ,同族の忠盈を養子として家督を相続した。<参考文献>本間清利『関東郡代』,『川口市史』通史編上
(村上直)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報