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伊奈忠尊 いな ただたか

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊奈忠尊 いな-ただたか

1764-1794 江戸時代中期-後期の武士。
明和元年生まれ。板倉勝澄(かつずみ)の11男。関東郡代。安永7年(1778)養父の伊奈忠敬(ただひろ)の跡をつぐ。関東,伊豆の諸河川の補修にあたる。天明の大飢饉(ききん)の際,一揆(いっき)を鎮圧する一方,窮民の救済につくす。寛政4年家事不行き届きの理由で免職,知行を没収された。寛政6年8月19日死去。31歳。通称は半左衛門。

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朝日日本歴史人物事典の解説

伊奈忠尊

没年:寛政6.8.19(1794.9.12)
生年:明和1(1764)
江戸後期の関東郡代。通称は半左衛門,摂津守,右近将監。備中国松山(岡山県高梁市)藩主板倉勝澄の11男。のち伊奈忠敬の養子。安永7(1778)年遺跡を継ぎ,郡代職を世襲,天明4(1784)年老中支配下となる。翌5年勘定吟味役の上席。6年小姓番頭格,翌7年摂津守に叙任。郡代在任中に関東水害の対策,江戸打毀し騒動を収拾。窮民救済,米穀払底対策に敏腕を振るい,心学の普及などで活躍。寛政3(1791)年家中内紛のため謹慎を命ぜらる。翌4年一時許されたが,同年養子忠善の出奔による家事不行届その他の理由で罷免される。郡代在職13年9カ月。知行3960石余を没収され,兄板倉勝政さらに南部信房のもとに預けられ31歳で没した。墓は東京都文京区本駒込の吉祥寺。伊奈家は累代の功績により断絶を免れ,同族の忠盈を養子として家督を相続した。<参考文献>本間清利『関東郡代』,『川口市史』通史編上

(村上直)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の伊奈忠尊の言及

【伊奈氏】より

…江戸時代,地方巧者(じかたこうしや)の筆頭に位置し,関東郡代や代官として活躍した世襲家。清和源氏の流れで,はじめ戸賀崎,荒川と称したが,7代易氏のとき信濃国伊那郡に住み,孫易次のとき伊奈を姓とした。のち易次は信濃を去り東海地域に流浪,その子忠基は松平広忠・徳川家康父子に仕え,三河国小島城(愛知県西尾市)を居城とした土豪となる。嫡男貞政の系統は断絶したが,十一男忠家の系統は栄え,嫡子伊奈忠次は徳川氏の関東入国後,代官頭として家康の側近グループに加わり,関東領国支配の中心的役割を果たした。…

【関東郡代】より

…江戸幕府の地方行政官の職名。代官頭伊奈忠次の系譜を引く伊奈氏が世襲で郡代職を継いだが,江戸後期に勘定奉行の兼任後,一時,廃止されたが再置,幕末に関東在方掛と改称された。徳川氏の関東入国後,代官頭伊奈忠次が100万石を支配したが,その子忠政の弟忠治が引き続き地方(じかた)支配した。1642年(寛永19)に幕府は忠治に対し関東代官の統轄と河川の改修,築堤の専管を命じ,これによって関東郡代が事実上成立した。…

※「伊奈忠尊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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