日本歴史地名大系 「与喜屋村」の解説 与喜屋村よきやむら 群馬県:吾妻郡長野原町与喜屋村[現在地名]長野原町与喜屋新井(あらい)村の西、吾妻川右岸にあり、支流熊(くま)川が中央を北流する。熊川右岸は菅(かん)峰の北西麓、同左岸は浅間山北麓になる。本村(ほんむら)・虻籠(あぶろう)・萩原(はぎはら)・下田(しもだ)・荻之平(おぎのたいら)がおもな集落である。南部の仙峩滝(せんがたき)(千ヶ滝)不動堂の宝塔は応永年間(一三九四―一四二八)のものと推定され、「加沢記」には永禄五年(一五六二)羽尾氏と鎌原氏の所領争いを武田信玄が仲介し、羽尾入道相伝の領地古森(ふるもり)・与喜屋を鎌原方と決めたことが記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by