与喜屋村(読み)よきやむら

日本歴史地名大系 「与喜屋村」の解説

与喜屋村
よきやむら

[現在地名]長野原町与喜屋

新井あらい村の西、吾妻川右岸にあり、支流くま川が中央を北流する。熊川右岸はかん峰の北西麓、同左岸は浅間山北麓になる。本村ほんむら虻籠あぶろう萩原はぎはら下田しもだ荻之平おぎのたいらがおもな集落である。南部の仙峩滝せんがたき(千ヶ滝)不動堂の宝塔は応永年間(一三九四―一四二八)のものと推定され、「加沢記」には永禄五年(一五六二)羽尾氏と鎌原氏の所領争いを武田信玄が仲介し、羽尾入道相伝の領地古森ふるもり・与喜屋を鎌原方と決めたことが記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む