日本歴史地名大系 「与那覇堂村」の解説 与那覇堂村ゆなふあどーむら 沖縄県:那覇市首里与那覇堂村[現在地名]那覇市首里山川町(しゆりやまがわちよう)三丁目首里城の西、首里台地の西端部に位置し、東は大飩川(うどうにがー)村、西は真和志(まーじ)間切茶湯崎(ちやなざち)村(松川村)、北は真和志間切真嘉比(まかび)村。真和志(まーじ)之平等のうち。ユナファドーとよぶ。「球陽」尚貞王四年(一六七二)条に初めて真和志郡与那覇堂村を首里府に所属させたとある。首里古地図では池田筑登之親雲上・嘉納筑登之親雲上ら二四の屋敷地のほか、北・西の真嘉比(まかび)川沿いに畠・田が広がっている。畠は屋敷地の北と西に広いが、田は真嘉比川沿いにまとまっている。北西部には「鳥頭」「はるおかみ」と記された二つの丘がみえる。尚穆王二三年(一七七四)七月二七日、与那覇堂村諷端多(うてーばんた)の松林に雷が落ちている(球陽)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by