朝鮮民主主義人民共和国,黄海北道北部の都市。大同江の河口から60km上流にあり,河港を中心とする貿易および工業の都市である。松林港付近の大同江は水深が深く,大型船舶が海から直接進入できる天然の良港をなす。李朝時代末まで寒村にすぎなかったが,日露戦争のとき,京義線敷設のため鉄道資材揚陸地を物色していた日本軍がここに目をつけ,黄州までの間に鉄道を建設してから,大同江沿辺の農産物,鉱山物集散地として発達しはじめた。1917年,朝鮮最初の製鉄所が建設され,工業都市に変貌した。原料の鉄鉱石は載寧鉄山から水運を利用して運ばれ,コークス炭は中国から輸入された。日本植民地時代には町も製鉄所も兼二浦の名で呼ばれた。独立後,松林市と改名,製鉄所は黄海製鉄所となった。この製鉄所は当初年産15万tの生産規模だったが,朝鮮戦争後拡張工事を重ね,東部の金策製鉄所とともに北朝鮮の二大総合製鉄所となっている。かつて輸入に依存していた原料炭を国内の無煙炭や褐炭に代替するなどの技術開発も進められている。松林港は1973年に貿易港として開港され,拡張工事の結果,1万トン級の船が接岸できるようになり,鉄鋼,米など主要輸出品を扱っている。
執筆者:谷浦 孝雄
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北朝鮮、黄海北道(こうかいほくどう/ファンヘプクド)北西部にある工業都市。大同江(だいどうこう/テドンカン)下流の左岸に位置する。もと大同江岸の一漁村であったが、川幅が広く水深が深いところから、日本が日露戦争遂行のため京義線(ソウル―新義州(しんぎしゅう/シンイチュ))建設の鉄道資材の陸揚げ場に使っていた。それ以来、陸揚げ責任者の渡辺兼二の名をとって兼二浦(けんじほ)と改名した。その後、三菱(みつびし)系の兼二浦製鉄所が設置され、黄海道一帯の鉄鉱石が集中され、溶鉱炉と平炉1基が稼動していた。朝鮮戦争で灰燼(かいじん)に帰したが、その後、北朝鮮の代表的な冶金(やきん)工業基地として再建された。銑鉄をはじめ各種の鋼鉄、圧延鋼材を生産し、ベンジン、硫酸アンモニウムも生産している。工場内には従業員の労働大学、病院、娯楽施設などがある。市街地には松林工業大学がある。
[魚 塘]
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