日本歴史地名大系 「松川村」の解説
松川村
まつかわむら
南流する
正保郷帳に松川宿とみえ、田三二貫九〇七文・畑三三貫九九一文、ほかに新田三貫六七三文があり、水損と注記される。寛文八年(一六六八)の高人数改帳(小野寺文書)では人頭九四、人数一千二三七。
松川村
まつかわむら
松川村
まちがーむら
松川村
まつかわむら
現松川村の北部に位置し、
松川の名の起源は定かでない。松川の名は、永正一一年(一五一四)の「続日域洞上諸祖伝」の「観勝院功巌策禅師伝」に「松河郷」とみえるのを初見とする。下って、天正六年(一五七八)二月の下諏訪春秋両宮御造宮帳によれば、「秋宮外之籬五間造宮 仁科内大和田・松川之郷中ニ而立之」とし、
松川村
まつかわむら
松川村
まつかわむら
松川村
まつかわむら
松川村
まちがーむら
松川村
まつかわむら
- 大分県:津久見市
- 松川村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報