金城村
かなぐしくむら
[現在地名]那覇市首里金城町一―二丁目
首里城の南西に位置し、西は南北道を隔てて寒水川村、北は綾門大道を挟み真和志村、東は真玉道を隔てて内金城村、南は金城川を隔てて真和志間切茶湯崎村。真和志之平等のうち。首里古地図には南北に長い地形に、東西を軸にして六六の屋敷地と天界寺・玉御殿(玉陵)・見上森御嶽・大樋川・仲之川、金城川沿いにはまとまった田とわずかな畠がみえる。真玉道には金城川に金城橋と思われる橋が確認できる。金城橋は尚貞王九年(一六七七)王府の命で楊壮盛(山内親方昌方)らにより木製から石橋に改められた(球陽)。尚
王六年(一八〇九)にも大改修されている(重修金城橋碑文)。見上森御嶽は玉陵のある叢林の南西角、寒水川村との境界の道沿いにあり、聖域を囲む石垣と門がみえる。
金城村
かなぐしくむら
[現在地名]那覇市金城一―五丁目
儀間村の南西にある村。康熙一二年(一六七三)真和志間切から小禄間切に編成替えされた村で、同じく真和志間切から分離した儀間村と併称して儀間金城村とよばれる。嘉靖二四年(一五四五)一一月六日の辞令書(田名家文書)により、「まわしまきりのきまのかなくすくのさとぬしところ」が「はゑのこおりの一人あめくの大やくもい」に給与されている。麻姓田名家家譜によれば、このとき真和志間切儀間金城地頭職に転任したのは四世真孟儀間親雲上。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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