世継曾我(読み)よつぎそが

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「世継曾我」の意味・わかりやすい解説

世継曾我
よつぎそが

浄瑠璃。時代物。5段。近松門左衛門作。天和3 (1683) 年宇治加賀掾座初演。また貞享1 (84) 年,竹本義太夫が竹本座創立公演で本作を語り大好評を得た。『曾我物語』に取材。工藤祐経を討ったのち曾我五郎時致が頼朝の面前に引出されることから始り,家来の鬼王,団三郎,兄弟の愛人の虎,少将,母らの動静を記し,十郎の遺子祐若が朝比奈三郎に助けられ,曾我の本領を頼朝から与えられて終る。近松作と確証のある浄瑠璃のうち最古の作。兄弟仇討ちの後日譚として曾我物に新構想を試み,また遊里を取入れて曾我物近世化のさきがけとなった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の世継曾我の言及

【浄瑠璃】より


[義太夫節の成立と展開]
 竹本義太夫(義太夫節)の出現は古浄瑠璃に対し,近世的曲風の当流浄瑠璃を大坂に招来した。義太夫は1684年(貞享1)竹本座を道頓堀に創設,近松の《世継曾我》で好評を得る。98年(元禄11)筑後掾受領,1705年(宝永2)11月の《用明天王職人鑑》以後,竹田出雲(座本),近松門左衛門(作者),辰松八郎兵衛(人形),竹沢権右衛門(三味線)を擁し活躍した。…

【近松門左衛門】より

…もっとも,恵観没(1672)後の動静はあきらかでなく,近江の近松(ごんしよう)寺に遊学したともいわれ,近松門左衛門の筆名の由来をそこに見る説もある。いずれにせよ近松の浄瑠璃作者としての活動は加賀掾のもとで始まるが,その加賀掾のために書いた《世継曾我》(1683)が,翌84年(貞享1)大坂道頓堀で旗揚げした竹本義太夫によっても語られて評判になり,作者としての地位を確保する。このころから元禄(1688‐1704)初年にかけて加賀掾と同時に義太夫のために作品を書くことになるが,竹本義太夫との出会いは,その後の近松にとって決定的な意味をもつことになる。…

※「世継曾我」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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