わが芸能史上最も数の多い演目をもつ史実潤色の作品群。源頼朝幕下の重臣工藤祐経(すけつね)に,父河津祐泰を討たれた遺子の十郎祐成(すけなり)・五郎時致(ときむね)の兄弟が,18年目に富士の裾野の巻狩で工藤を討った事件は《曾我物語》になり,幸若舞,能,古浄瑠璃をはじめおびただしい数の演目で,特に江戸の大衆に喜ばれた。近松門左衛門も人形浄瑠璃のために書いたが,歌舞伎では,江戸の荒事が五郎という人物を典型化したので,代々の市川団十郎がこの役を演じた。元禄(1688-1704)ごろの上方では,〈盆曾我〉といって7月に曾我物を上演する慣習があったが,1709年(宝永6)以後江戸では正月に曾我を演ずることが多く,享保(1716-36)ごろからは初春の吉例となって三座ともに必ず曾我狂言を上演する習慣が生まれ(初春狂言),まったく別の世界の人物に対しても,実は曾我五郎という筋にしたりすることになった。歌舞伎十八番の《助六由縁江戸桜》の主人公が実は五郎というのはその一例である。曾我兄弟が本懐を遂げるまでに経過した年月は,悲壮に語られ,劇的な起伏を付与されて描かれるが,その間に貧窮した主人を救うために忠臣の鬼王・団三郎(どうざぶろう)が苦心する場面が挿入され,このくだりは歌舞伎のお家物の類型である。伝説として,兄弟の物語を語って歩いた虎(とら)という女性がいたが,この虎を十郎の愛人で大磯の遊女とし,同時に五郎にも化粧坂(けわいざか)の少将という女を配したのは,歌舞伎の女方がいろどりを添えるためであった。工藤は悪人のはずだが,歌舞伎では座頭の役なので,白塗りである。また兄弟の後見人の立場にいる朝比奈義秀は,道化ふうの役として初世中村伝九郎の創造した演出で演じる。そういう役々を並べた《曾我の対面》,十八番の一つの《矢の根》,踊りの《草摺引(くさずりびき)》などが著名で,約300の台本がある。ほぼ正伝を劇化したのは,1874年に河竹黙阿弥の書き下ろした《夜討曾我狩場曙(ようちそがかりばのあけぼの)》と,93年に近松の《曾我会稽山》を下敷にした福地桜痴の《十二時会稽曾我(じゆうにときかいけいそが)》である。
→仇討物
執筆者:戸板 康二
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…中世の謡曲,幸若から古浄瑠璃を経て,近世の歌舞伎,人形浄瑠璃や読本,実録,講釈,浪花節など,さまざまの分野で扱われ,重要な一系統を形づくっている。それらの基幹となったと思われるものは《曾我物語》を素材とした作品群で,早く謡曲に数々の〈曾我物〉を生み,この流れが幸若,浄瑠璃,歌舞伎に継承されて発展を見せた。歌舞伎における〈曾我物〉は格別の人気狂言で,享保以後江戸の劇場では毎年の初春狂言の世界を〈曾我物語〉とするのが吉例になった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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